大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和23年(ネ)438号 判決 1949年11月19日

主文

原判決を取り消す。被控訴人が昭和二十二年四月二十二日別紙目録記載の農地について為した買収計画はこれを取り消す。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として陳述した事実の要旨は左のとおりである。

別紙目録記載の畑四筆は、控訴人の所有であるが長野市農地委員会が昭和二十二年四月二十二日これを当時の登記簿上の名義人たる訴外花井なかの所有に属し、自作農創設特別措置法第三条第一号に該当する農地であるとして買収計画を樹立したのは不当であるから控訴人は、法定の期間内に異議の申立を為したところ、同委員会は、右農地の所有権移転登記済につき、控訴人は所有権取得を以て同委員会に対抗し得ないとの理由の下に異議申立を棄却したので、これが取消を求むべく更に長野県農地委員会に対し訴願したが、同年五月二十八日右同一理由に基き、長野市農地委員会の決定は取り消すべき限りにあらずとの裁決があり、同年六月十一日その旨控訴人に通知せられた。然しながら、別紙目録記載の農地の内一乃至二は以前訴外長田一雄の所有であつたが、控訴人は昭和十五年二月二十六日同人よりこれが贈与を受け、又三及び四は、亡母ゑつの遺産相続により控訴人及びその弟妹たる長田一雄、長田孝次郎、花井なかの四名の共有となつていたが、同日、控訴人以外の共有者はその持分を控訴人に贈与した為め、本件農地はいずれも完全に控訴人の所有に帰したのである。ところで、控訴人は、その頃訴外花井秀雄(なかの夫)方に寄寓し、馬場家との縁談進行中であつたが、夫たるべき者の気心も判らぬうち本件農地を直に控訴人名義とすることは不安であつたので、弟妹等一同と相談の上登記簿上丈け花井なかの名義を借りることとなり、前記一、二の土地については形式上同年三月二十六日長田一雄よりこれが所有権を花井なかに譲渡したこととして同年四月十三日その旨の登記を為し、又三、四の土地については同年四月二十二日控訴人、長田一雄及び長田孝次郎より同日その持分を花井なかに譲渡した旨仮装の登記を経由した。これ等は勿論登記名義丈けのことであつて、控訴人が真実の所有者であることには変なく、その管理収益は控訴人においてこれを為していた次第である。然るところ、今次大戦勃発し、昭和十九年末頃には、控訴人及び花井なか等の居住する東京都は敵機の空襲を受けること激甚であり、何時互に死別するやも保し難い状況となつたので、控訴人と花井なかとの間において将来万一の紛糾を避ける為め、本件農地の登記簿上の所有名義を真実の所有者たる控訴人に移すことに意見一致し、同年十二月五日売買名義を以て右花井なかより控訴人に所有権を移転する旨の証書を作成し登記手続を果そうとしたのであるが、空襲愈々激化し遂にその機会を見出し得ぬ内に終戦を迎へるに至つた。かように右登記手続は遅延を余儀なくされて来たのであるが、昭和二十二年六月二十八日漸く適法に右登記を完了することができたので、ここに外見上の所有名義人に対して為された前掲農地買収計画を失当とし、これが取消を求める為め、本訴に及んだ次第であると陳述し、被告の主張事実を否認した。(立証省略)

被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求め、答弁として、控訴人主張の事実中、本件につき控訴人主張の日長野市農地委員会が買収計画を立てたところ、控訴人はこれに対し異議訴願等の申立を為しいずれもこれが棄却せられた経過、控訴人主張の各日時訴外花井なかに対し本件農地の所有権移転並びに持分譲渡の各登記が為されたこと及び控訴人が右買収計画樹立後の昭和二十二年六月二十八日に至り所有権取得登記を経由したことはこれを認める。該農地が昭和二十年十一月二十三日以前において控訴人の所有に属したことその他控訴人主張事実はこれを否認する。本件土地は、登記簿記載の通り名実共に花井なかの所有であつて、且つ同人は昭和二十年十一月二十三日当時において不在地主であつたから、これを理由として右花井なかに対して為された本件買収計画は正当である。仮に花井なかの為に前記所有権移転並びに持分譲渡等の登記の為された事情が控訴人主張の通りであるとしても、控訴人は当事者内部の関係においてのみ本件土地の所有権を自己に留保し、対外的には完全にこれを花井なかに移転し、以て自己の利益を擁護せんとしたのに外ならぬから、右は所謂信託的譲渡であつて、かゝる場合外部関係上花井なかを所有者としてなされた買収手続には何等の違法はない。この事は、社会生活上自己が外部に表示した行為については、後に至つてこれと矛盾する事実を主張してその行為の責任を免れ得ないとする禁反言の法理に徴するも明かであつて、控訴人は、今更ら自己が真実の所有者であるとの理由により本件買収手続の違法を主張し得ないのである。又仮に控訴人がその主張する如く昭和十五年中贈与により本件土地の所有権を取得したとしても、本件買収計画の立てられた当時に在つては該土地は花井なかの所有名義のまゝであり、控訴人は未だ所有権取得登記を経てなかつたのであるから、民法第百七十七条により第三者たる長野市農地委員会に対してはその所有権取得を以て対抗し得ない筋合であると述べた。(立証省略)

理由

長野市農地委員会が、昭和二十二年四月二十二日訴外花井なか所有名義に係る別紙目録記載の畑地四筆につき、自作農創設特別措置法第三条第一号に基き買収計画を樹立したところ、控訴人が該農地は真実自己の所有であることを主張して異議訴願の申立を為し、いずれもこれを棄却されたこと及び右目録の一、二の土地は元長田一雄の所有であり、又三、四は控訴人長田一雄、長田孝次郎、花井なか等の共有であつたが、控訴人主張の各日時花井なかに対し所有権移転並びに持分譲渡等の登記が為されたことは当事者間に争がない。

ところで当審証人花井秀雄の証言によりその成立を認めうる甲第二号証第四、五号証の各一、二及び成立に争のない同第六号証の一、二と原審証人尾沢あさ子当審証人花井秀雄高野孝三原審並に当審証人長田一雄(原審は第一、二回)花井なかの各証言及び原審における控訴本人訊問の結果とを綜合すれば、控訴人は長田家の長女に生れ、早くより両親に死別した為め、親代りとなつて多年一雄、孝次郎、及びなか等弟妹三名の世話をして来たので、その恩義に酬ゆる為め、昭和十五年二月頃、一同相談の上、控訴人との間に、一雄は、その所有に係る別紙目録記載一、二の土地を、又右一雄、孝次郎及びなか(当時花井秀雄に嫁す)は、同目録記載三、四の土地の共有持分を、夫々控訴人に贈与することの約定成立し、これにより本件土地は凡て控訴人の所有に帰したのであるが、これが登記手続に当り、控訴人が当時馬場家との間に縁談進行中にて、夫たる人の気心も知れぬ内に控訴人名義に登記することは不安であるから、一時仮に花井なか名義を以て登記し置くことに一同の意見合致し、これにより控訴人主張の各日時花井なかに対する前記の如き所有権移転並びに持分譲渡の各登記が為されたこと、右は登記の形式上花井なかの名義を借りたのに過ぎず、同人に対し本件土地の管理保全を託して外部的に所有権を移転する趣旨ではないので、控訴人は訴外高野孝三に右実情を伝えて本件土地の管理を依頼し小作料の取立を為さしめ、又花井なかからも小作人等に対し控訴人が実際の所有者であることを通知したこともあつて、小作人等は何れも本件土地は「おくにさんのものだ」とて真実控訴人の所有に属することを承知して居り、控訴人自身も昭和二十年三月頃より引続き長野市に居住し、本件土地の一部を小作人より返還を受け耕作に従事している事実を認めることができる。原審証人阿部宗博、宮下英次郎、小松巳助原審並びに当審証人高野孝三の各証言及び原審における被控訴人代表者西沢順作の訊問の結果中以上認定に牴触する部分は当裁判所の採用し難いところであり、その他被控訴人の提出援用にかかるすべての証拠によるも、いまだ被控訴人主張のように、本件土地につき登記簿記載とおりの物権の変動が行われたものであつて、昭和二十年十一月二十三日以前において名実共に花井なかが本件土地の所有者であつた事実を認めることのできないのは勿論、花井なか名義に登記したのは、控訴人が本件土地の贈与を受けた後、これを信託的に花井なかに譲渡したので、即ち外部関係においては花井なかが本件土地の所有者であるという事実をも認めることができない。

このように、花井なかは、登記簿上本件土地の所有者として登記せられたに止り、真実の所有者は控訴人であるが、このような場合、国は、名義上の所有権の所在を標準として買収を行うべきか、実際の所有権の所在を標準として買収を行うべきかの困難な問題を生ずる。固より買収を実施する行政機関にとつては、一々名義上の権利者と真実の権利者とが異るか否かを調査して真実の権利者を標準として買収を実施することは不可能であり、一応登記簿上の記載を信頼し名義上の権利者を標準として買収を実施することは当然許さるべきところではあるが、自作農創設特別措置法に基く農地買収処分は、一定の要件を具備する場合、国が公権力を以て農地の強制買上を行うもので、その要件を具備しているかどうかはその農地の所有者個々につき決せらるべきものであるから、その実施は真実の所有者を標準として行われることが実体上の要請であるというべきである。従つて、当初表見上の所有名義に従つて買収手続を開始したとしてもその実施の過程において、これと異る真実の所有者が他に存し、しかもその者につき買収処分をなすべきでないことが明かになつた以上は、さきになした処分を取り消してその匡正をはかるのが至当であつて、真実の所有者の権利が証明せられたにかかわらず、これに対し名義上の所有者に対してなされた買収手続の効果を強制し手続を続行するのは不当にその者の権利を侵害するものというべく、当該処分の確定する前にその者から手続の取消を求めた場合には、これを拒否すべき何等正当の理由は存しないものというべきである。このことは、本件のように、真実の所有者が単に登記簿上の名義の名を借りて登記した場合は勿論であるが、右登記の登記義務者である前所有者と表見的登記権利者との間、又はこれに前所有者から所有権の譲渡を受けた真実の所有者を加えてこの三者の間に所有権の移転に関する何等かの通謀虚偽表示がなされ、これに基いて表見的名義人のため登記がなされた場合においても、何等かわることなく、後の場合右通謀に基く意思表示は無効であつて、かの民法第九十四条第二項の規定は、専ら私法上の取引の安全を保護する趣旨に出た規定で典型的な権力支配作用である農地買収処分には適用のないものと解すべきである。なお又被控訴人は禁反言の法理を援用してゐるが、右法理は信義衡平の見地より当事者のさきに為した表示行為に対する第三者の信頼を裏切ることによつて、その者に不測の損害を与うることを禁止せんとするものであるから、一般私法上の取引については妥当し得ても、本件の如き農地買収手続にはその適用なきものと解するので、この点に関する被控訴人の主張も採用の限りではない。

被控訴人はさらに仮に控訴人が贈与に因り本件土地の所有権を取得したとしても、本件買収計画の樹立された当時にあつては、控訴人は未だ所有権取得登記を経由していなかつたのであるから、民法第百七十七条によりその所有権取得を以て長野市農地委員会に対抗し得ざるものであると抗争するけれども、同条の規定は私法上の物権変動における対抗要件を規定したものであつて、前段説示したところと同一理由に基き農地の強制買収に適用すべきでないと解するので、被控訴人の右主張もこれを採用することはできぬ。

されば、被控訴人が控訴人の所有に属する本件農地を花井なかの所有する小作地と認定して為した買収計画はもとより違法であつて、取消を免れぬものである。控訴人の本訴請求は正当として認定すべきであり、これとその趣旨を異とする原判決は失当であるから、民事訴訟法第三百八十六条に則りこれを取消すべきものとし、訴訟費用の負担につき同法第九十六条第八十九条を適用して主文の如く判決する。(昭和二四年一一月一九日東京高等裁判所第四民事部)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例